nya日記

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2006年 06月 11日

能と狂言

生まれてこの方日本の伝統芸能とは無縁の生活でしたが、みょーに気になりだした今日この頃。
それで、はな子さんとCaさんを誘い、名古屋能楽堂の6月定例公演を見てきました。
名古屋能楽堂は名古屋城の正門前にあります。厳かな雰囲気があふれ出てました。

まず、能にしても狂言にしても予習が肝心です。
つまり、ストーリーを大まかに把握しておく必要があるのです。というのも言葉は昔言葉で意味不明だったりする上に、セリフを微妙にメロディー調で発するのです。それでも、狂言は笑いの要素が含まれた劇で、動作を伴い、セリフも昔言葉が少なくてまだ分かり易かったりするのです。今も昔も笑いの本質は同じだから、言葉少々分からなくても理解はできるのです。

ですが、能は動きが亀より遅く、笛と太鼓の演奏にあわせてお経のようなセリフを昔言葉で発しながら舞うのです。そして入り口で借りた同時通訳用イヤホンも私のようなど素人ではさらなる説明が必要だったりして分かりにくかったりするのです。つまり、能は単なるストーリーの把握のみならず、音楽的、舞踊的にも理解が必要かもしれませんね。ムズカシィーものです。私は途中何度も意識が遠のいたのでした。。。

*今回の演目*
狂言 船渡聟(ふなわたしむこ)
お嫁さんの実家に挨拶に行く聟。お嫁さんの実家に行くために渡し船に乗る。渡し舟の船頭は聟が持っている酒樽を見て、飲みたいとお願いする。聟が手土産に持っていくお酒なので封がしてあるからダメだと言うと、強硬手段に出て、お酒を飲ませてもらう。お酒がほとんどなくなってしまった酒樽を持って、お嫁さんの実家を訪問する聟。姑さんしかいなかったため、姑さんに舅さんを呼びに行ってもらう。舅が家に帰ってきて、聟に会おうとしてびっくり。さっき船に乗せてきた若者だったので、何とかして会わずにすませようと姑さんに頼むが、会うように言われ、正直にことのしだいを話す。話を聞いた姑さんは、それなら余計に会ったほうがいいと言い、姑さんにひげをそられ、渋々会う。顔が分からないように口元を押さえ聟に会い、聟はお酒を酌み交わそうとする。口元が見えてはまずいので、聟だけにお酒を飲ませ、自分は聟の飲むお酒をほしそうに見つつも我慢。帰り際に聟に口元の手を外すように言われ、拒否するが、聟に手を外されてしまう。聟も先の船頭が舅だと知り、びっくりする。舅はあらためて先の無礼をわびるが、聟は「舅さまに飲んでほしかったお酒なので、飲んでもらえれば嬉しいのです」というようなことを言って円満解決。二人で舞を踊って和解する。

能 高野物狂(こうやものぐるい)
常陸の国の住人、高師四郎(たかしのしろう=シテ)が、主君の命日に寺に参詣していると、亡き主君の遺児・春満(しゅんみつ=子方)からの別れの手紙が届きます。そこには、春満が仏門に入る決意をしたことが、親代わりだった四郎への惜別の和歌と共にしたためられています。四郎は主君から託された春満がいずくとも知れず立ち去ったことを恨み嘆き、その跡を追って当て所も無い旅に出ます(ここまでが前半)。物狂いとなってさすらう四郎は、弘法大師の開いた真言宗の聖地、高野山にたどり着きます。高野山でもとりわけ美しく、仏法の永遠を象徴する「三鈷(さんこ)の松」の下で休んでいると、少年を伴った僧に出会い、さまざま語り合ううちに、高野山が人々に無常を悟らせるのにふさわしい場所であることに霊感を呼び覚まされてか、四郎は美しい舞を舞います。それを見ていた少年が、自分こそ四郎が探し求めていた春満であることを名乗り、二人はついに再会します。
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by kgakuta | 2006-06-11 22:49 | 日本古典


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